大福 - daifuku -
All What Human beings Do Is Music!

自分
2019.10.12

このところここにいるのが自分なのかどうなのか怪しい。

そういう時間を過ごしている。

よく笑う。

これがいったい本当に俺なんだろうか。

んー。

 

もう少し闘ってみる。

ここがひとまずの場所だ。

 

祭囃子2
2019.9.12

ドレミファの不自由さ。

その壁にぶつかる音楽家は多いと思う。

特に鍵盤楽器なんかはどうしたってはみだすことができない。

どうしても五線譜のはっきりした個別の音階から逃れられない。

バイオリンなんかの譜面で「微分音」とかいう大仰な名称で半音をさらに細かくしたりして

ナントカごまかそうとしているが、結局のところ世界の成り立ちをその哲学で音楽に表すには無理があるんじゃないかとさえ思う。

 

さて祭囃子。

篠笛の音階はいわゆるドレミファではないし、採譜という観念もなかったからそのすべてが口伝だったようだ。

口伝というと僕なんかはロマンを感じてしまって興奮するのだが。

このあたりの神楽は昭和27年絶えてしまったものを山奥の別の村からお囃子を持ってきて復活させたんだとか。

絶えてしまった理由は聞いてないけれど、おそらく大戦が関わっているんだろうと思う。

一度絶えてしまっているので、口伝で伝えていくはずの「ジゴト」を板切れに書いて保存してある。

冒頭はこうだ。

 

ヒー ヒャラゝゝ トヒャラヒオ ヒャラゝゝゝゝゝ

トヒャオヒャララ ヒャララ ヒリリー ト ヒャラヒオ ヒャラゝゝ

云々

 

こんな感じで続く。

そのうち「ヒャライットロ」だの「オヒヨ」だの「チリリチチチ」だのが出現してきて大変にオモシロイ。

楽曲を紙に書き留めているのでこれはこれで立派な譜面だと思う。

この「ジゴト」を丸々節をつけて暗譜で歌えなければ、キチンと笛を吹けるようにはならない。

楽器と歌と人間が完全にシンクロする曲の伝え方だと思う。

下手に譜面が読めるとかいうひとの心ここにあらずみたいなピアノのような演奏には絶対にならない伝え方。

人が記録無しに伝えていくから少しずつ形は変わってしまっているんだろうけれど、それはそれほど問題ではないと思う。

そんな些末ことよりも、人がそこで生きて、その人の生きた音を出せることの方がよっぽど重要だ。

下手だろうが何だろうが。

 

死んだような楽器演奏を聴くにつけ、この村の祭囃子を誇らしく思う。

もうじき祭り当日だ。

祭囃子
2019.9.3

今年もあっというまに9月だ。

生活ががらりと変わって、本当に矢のごとく過ぎていったな。

 

さて9月と言えばこの地域のお祭りがあるのだけれど、この何年かそこで笛を吹かせてもらっている。

神楽保存会にも入った。

あいかわらず吹く楽器は苦手だ。

 

このお祭りというのが皆が素朴に保存してきたいわゆる村の祭りである。

大掛かりで人の集まる奇祭や大祭も見ごたえはあるのだろうし、人が大勢関わっている分放出されるエネルギーも大きいとは思う。

けれども、ここにひっそりと残っている小さなお祭りの雰囲気がとても気に入っている。

 

集落の真ん中に農業用に補正された川が流れていて、東西二つに村を分けていて、西と東で祭りの曲が違う。

これが恐ろしいほど良く似ているので、東西二つの曲を一人の人がマスターするのはほとんど無理だ。

なんでも昭和27年に昔の祭りが途絶えてしまって、小川村という地域の曲を二つに分けたんだそうだ。

 

「ジゴト」と、還暦に近いおっちゃんの手ほどきで吹けるようにしていく。

「ジゴト」というのがアレだ。つまり「ヒャラヒャラ、ヒーヒャラオロ…」とかいう詩とも歌ともとれない

文字で書かれた楽譜だ。もともとは文字ですらない口伝だったんだろうと思う。

この「ジゴト」でもって曲の節を歌えるようにならないと、キチンと歌いまわせない。

「なるほどこういう保存の仕方があるのか」と。

初めてこれに触れたときは目からうろこが落ちた。

 

なるほど音楽の在り方がここに一つ結晶になって残っているんだなあ、と。

 

つづく

対ニンゲン
2019.8.30

「あなたのためを思っています。」

なんてのはどうにも気持ちが悪い。

けれども「あなた」を思うことが仕事だったりすると

どうしてもそういう気分になってしまう。

我に返れば、なんとも座りの悪い、いたたまれないユーウツな気持ちだ。

ほんの瞬間、そんな考えが頭によぎったらすぐさま振り落とすことにしている。

 

 

結局あたしがあたしでいること以上に「あなた」のためになることは無いのだ。

とりたてて「あなた」のためだなどと嘯かない。

あんたのためになることは、あんたが拾え。

俺は俺だよ。

と、日に三省す。

 

わはは。

身体
2019.8.16

髭がのびたり、爪が伸びたり、夢を見たり。

身体は一時も休みはしないのに、

ぐるっと見渡してみてニンゲンてのはなんでそんなに暇なんだろうと思う。

 

僕はスケジュールの管理がめっぽう下手で、それはそれは困った感じなのだが、

それでもいつでも目のまえにやりたいことがあるので暇が全然ない。

 

そうだった、あたしにゃ暇がないんだわ。

 

よおし。

入浴剤
2019.5.27

突然風呂の話で恐縮だが、最近人に勧められて入浴剤を使っている。

 

この入浴剤、説明を聞いても全くなんだかわからない上に、自然由来とかなんとか怪しさ満点で、一旦は躊躇していた。

でもまあ、試しに頂いた訳だから一回くらい使ってみるかとバスタブにキャップ半杯入れてみた。

スッとした良い香り。まあ、匂いなんてものはどうにでもなるよな、うん、そうだよな、といつも通りの入浴時間であがってみると、出るわ出るわ、汗。

なんだこの温泉に入った後のような。

快眠。

てな訳で、次の日も使用。

 

で、この入浴剤てのが、洗剤にもなるらしいとの話を聞いて、そういうことならと、水垢になってきている洗面器やら風呂の椅子だのを入浴後のバスタブに入れて放置してみた。

次の日、サッとこすると水垢が落ちる。

風呂場のものの水垢って落ちるんだ…。

目から鱗も落ちたわ。

 

これはなんだと改めて説明を聞いてもよく分からない。

 

体には良さそうだし、これ使ってるだけでひとまずバスタブやら洗面器が綺麗になるのだから、なんとも狐につままれたよう。

 

説明を聞いてもよくわからない怪しいものってのはいろいろとあるけれど、そんなものの中にも、こういうものがまだあるのだなあと、自分の見識の狭さを感じたのと、世の中まだまだいろいろ面白いものがありそうだな、と。

 

今度、もう一度詳しく説明を聞いてみよう。

本社が京都だっていうから、今度行った時に伺ってみようか。

 

おお、行ってみたいところができた。

こんなところにもまた生き甲斐が。

 

なるほど。

タカハシ∵まだ生きます。

 

諦めている
2019.5.1

ぐるっと周囲を見渡してみる。

 

諦めているようには見えないが、可能性に賭ける姿はほとんどない。

 

ああ、そうだった。

俺のことだけで良いのだ。

 

良いリズム。

ここだけは絶対に諦めない。

俺はね。

 

あとのことは知らん。

つまらないこと
2019.4.30

つまらないなと感じたら即座に辞めることにしている。

 

「継続は力」とかいう。

確かにそういう側面は見えやすい。ある程度本質的だとも思う。

 

けれど、人間の本当の力というものは目には見えないナニかであって

表面的な物差しでは測れないし、ましてや1位2位とかいって比べられるものではない。

人間の本当の力ってのは卑俗で相対的なものではなく、それぞれの神聖な絶対感からしか生まれえない。

 

物事に飽きたんだとしたらそれは才能がないんだ。

「もう飽き飽き」なんてことを積み重ねていけば絶対に愚鈍になっていく。

自分を誤魔化し「なあなあ」で毎日を浪費する。

自分が何者かを探さなくなったら終わりだ。

自分の美学もすっかり忘れ、死んだような目で刹那的な刺激を求める。

生活の内側に充実のない屍のような。

 

拘っているヒマはない。

一目散にそこから逃げ出して新天地を探す。

別のやり方で俺だけの時間を押し進めてやる。

 

毎日誰にも気づかれないように辞めている。

それで初めて続けられる。

 

ようやく飽きずにこの世にのほほんと居ることができている。

人類なのである
2018.10.21

人間に生まれたこと

それ自体が悲劇であり

喜劇なのだ

 

俺が人類だ

2018.9.26

その時、その瞬間

 

自分の責任を放棄して

 

他人に責任を押し付ける

 

その不潔なことと言ったら

 

 

恥を知れ、熊坂

祭りの後
2018.9.17

寝不足もあってか、切ない気持ちで胸が引き裂かれそうだ。

 

祭りの後のこの侘しさはなんなんだろう。

 

虚無と言うのだろうか。

絶望と言うのだろうか。

 

世の中の全てに手応えを感じない。

身体中から力の抜けるような。

だあれもいないような。

 

だれか。

だれかいないか。

 

ああ、そうか。

こうやって生まれ直していくんだな。

今なにをするのか
2018.9.15

全ては今から考えなければならない。

 

この時、この瞬間になにをするのか。

決意する。

 

意思が強ければ激しく共振を呼ぶ。

 

決して最終的な理想なんてものから逆算して今の姿勢を決めてはいけない。

それでは拓ききらない。

爆発しない。

 

思ったようにならなくていい。

むしろ思いもよらない事が起きた方がオモシロイものになる。

怖気付いてはいけない。

 

音符は決まっていようとも、ただ時流に流されるみたいにしていては、なにも生まれない。

 

味わうべきもの。

 

我が人生を、おもしろく。

爆発的な
2018.9.14

ぐるっと身の回りを見てみると爆発的な音楽が圧倒的に足りないと思う。

どれもこれもショーウィンドウケースの中でさらりと並んでいる。

全体的にストレスがなく、なんとなく聴き心地のいい、流されて消費されることを頭から受け入れている風情だ。時代に流され、消えて行く。初めからその運命を諦めている。抗っていない。

 

強敵に抗う姿が感動するんじゃないのか。

 

自ら枠の中に収まって安穏と消え去ろうとするものを作ることはできない。

消えるかどうかは関係ない。

抵抗するか、どうか。

 

ストレスのない充実が無いように、リスクのない充実も、また無い。

 

よし、リスキーに行くか。熊坂。

生活に
2018.9.13

言葉だ。

奮い起つような。

頑張れ、などという無責任な言葉ではなく。

 

人のために、なんて生きたくはないね。

 

応援してるぜ、熊坂。

うおっしゃ。

そうだ忘れてた
2018.9.8

俺も死ぬんだったっけ

 

まあ、死んでも無くならねーよ

俺は

全てが
2018.8.31

お前の問題なんだぜ

参加しろよ、熊坂。

それに。

 

でだ。

 

「わからない」とか言うなよ。

わかろうとしてないだけだろ。

だからよ
2018.8.11

悲しいと嬉しいは同じエネルギーだと思うのよね。

 

だからよ。

 

悲しい悲しいってだけのジメジメしてる奴はいじけてるだけに見えるんだよね。

美意識
2018.8.7

君は誰だ

 

名前や職業や性別などは全く役立たずで

人間なんてものは美学でしかない

 

美しいとはなにか

 

君はなにを美しいと思うのか

あるいは害悪ですらある
2018.7.24

具体的な行為を伴わない哲学のひけらかしほど浅はかで見苦しいものはない。

どこかで聞きかじった大仰でゴリッパな言葉をわかった風な顔で。

 

そうなのだ。

顔つき、目の色。

本当の重みがあればそのように震えるものだ。

 

「問題は何を言ったかではない、誰が言ったのか、だ。」

ピカソがこう言ったとか。

 

 

現代、端的に表す言葉がある。

 

「お前がゆうな」

 

である。

ちょっとしたアレで世界なのね
2018.7.14

最近、現実感がない。

生きているという実感はあるのだけれど、どうも世界に触れている気がしない。

 

考えてみれば人間なんてあやふやなもんで同じものを見ても時によって形が変わる。

高校生の頃に触れた音楽ではもう心は震えないし、昔観た映画は懐かしいばかりだ。その出来の良さや構成の面白さなどは変わらないが、僕に迫って来る感覚はもうない。

 

こちらに迫って来るその手応え。実感。

そういう世界の温かみが世の中に足りないのかもしれない。

あるいは僕が世界を前に呆然としているだけなのかもしれない。

 

もう少しで世界に触れられるという予感。

触れたいんだな。

 

ちょっとしたことで不意に、

「あ

コレが

世界だ」

感触を覚える。

その時、栄光の中にいる。

 

ちょっとしたアレで世界なのね。