先日、突然古い仲間が訪ねてきた。
諏訪にいるのだが、どうもここに居られない、確かなっちゃん長野に住んでた、なっちゃんちに行けないかな。

彼女は私が歌い始めたきっかけの人である。

歌いたいけど歌えない、そんな秘めたる想いを抱えている私と彼女が出会ったのは、
彼女が構えて居た吉祥寺の高架下にあった小さな占いの館「JAJA」だ。
私はその頃、露頭に迷うとはこのことか、とにかく自分の立つ位置がまるでわからなくて、もがいてももがいても手でかけるものすらなくて、まさに溺れる寸前であった。幼馴染みにJAJAを勧められ、恐る恐る、でも藁にもすがる想いで訪ねてみた。
私は何を考え、何を望み、ただいまどんな地図のどこにいるのかを目の前に差し出され、そして心の声に従うよう、ポンと背中を押された。どんなに手を振り回しても触れなかった自分に、やっと触れたような歓びがあった。

何度か通ううちに彼女にも歌が訪れているということがわかり、一人で歌い出せなかった私たちは二人でならできるかもと、エイっと歌い始めたのである。それが「天地(あまち)」という奇跡のようなユニットであった。練習は公園とか野原とかでとにかくテーマを決めて即興で声を出す。閉じて居た喉のチャクラがどんどん開き始めて、言いたくても言えなかったこと、やりたくてもやれなかったこと、泣きたくても泣けなかったこと、そんなものがどんどんと昇華していった時期だった。

やがて私は彼女から占いを教わる。彼女は占いの師でもある。

そんな彼女が私にアクセスしてきた時、私はというとかなり参っていた。
生活を作り上げることに私の何かが奪われてしまったような。体調も悪いし、やる気も起きない。
何かを作り出すどころではない。
どこかへ旅にでもでないとまずいかもと思って、旦那はんに泣きついたのが前の晩だった。

なんで長野に来ることになったのかさっぱりわからない、と言いながらやって来た彼女。彼女に会うのはもうかれこれ10年ぶりくらい??
私が彼女を呼んだのかもしれない。それくらい、私が思っているよりもギリギリのところにいたのかもしれない。

「心がぎゃーと叫んでいるよ、とにかく全部切って、捨てて、断捨離!」
と言われた。女性は45歳くらいに大きな転機を迎えるので、この時期に、新しい波に乗ること。それができないと更年期障害でひどく悩んだりすることになるよ。とにかく、実際に物をうんと捨てて。何にもなくして、必要なものだけ置いて。それはかなり意を決して。ちょっとやるくらいじゃダメ!

私はあの頃のように、自分の心にあることを見つけては話し、だんだん整理がついて、なんだか体調も良くなって来たような。
あの頃のように光の差す方向が見えたような。そんなところへあっという間に引っ張り出された。やっぱり京子ちゃんはすごいなあ。彼女はこうやって何百人もの人の魂を奮い立てている。遠く離れていても、何かの信号を感じるような、そういう見えない世界のことを、やっぱり大事にしないといけんなあと思った。究極のスピリチュアリティは現実の中にあると、現実にフォーカスして来たこの10年くらいであったが、その現実に危うく掴まれて身動きが取れなくなるところであった。私のセンサーをもっとむき出しにして、磨いて、フル稼働していくよう告げられたように思う。そう、このままでは不可能なことがいっぱいになっていたのだ。そう私が感じて、泣きじゃくっていた。

というわけで、あんまり使いたくない言葉だけど、断捨離。

まずはストーブを買い換えました。これでストーブ周りが一気に整理され、ピアノに灰が積もることもなく、そして何より一時間はストーブを構わなくていい。つまり一時間ピアノに集中できるわけである。

そして、10年前に買ったパソコンともおさらば。ネットがほとんど見れない旧バージョンで、ホームページもいじれなくなっていた。プリンターも新しい型のドライバも入らず、壊れかけのプリンターを使わないとならない、何故かプリンターが二台並ぶ居間。。。何かとスムーズにならない原因の一つだった。

よし、この調子で整理していくぞ。ただ捨てりゃいいってもんじゃない、それじゃあまた積もっていってしまうのだ。滞っているところをどんどん捨てて、流れるようにしていくのだ。

食事の仕方も変わって来て、すっかり体調が良くなって来た。
もう少し、もう少ししたら、また何か生み出していけるだろう。

京子ちゃん、ありがとう。
いつか岩手を訪ねたいと思う。

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