2011年1月

灯火

寒い寒い。
こんな夜は風呂であったまって、布団に潜り込もうと息子と計画していたが、
入る直前に風呂の電気が切れていたことを忘れていた。
真っ暗闇じゃあなあ。。。

そこで家中の蝋燭を集めて灯し、入ることにした。

いつもより、風呂が柔らかい。
身体がゆっくりほぐれてゆく。
こころがふっくらと膨らんでゆく。

火は生きているなあ。
そのゆらぎにゆったりと身を任せて、私も息子もすっかり力が抜け眠たくなった。

電気なんてなくっていいんだよなあ、やっぱり。
なくなったら不便と思うかな。
いや、私は案外思わないたちだ。
夜は闇なのだ。忘れていたな。

珈琲というものの概念が塗り替えられる

先日、瀬戸内をツアーしていて、私の珈琲世界一を見つけた。

尾道、香味喫茶ハライソのネルドリップ。

ひとくち目に、
珈琲の香りと同じ味がする!!
と思った。
珈琲豆の缶を開け、豆に触って、豆をひいて、ドリップして、
辺りは珈琲のいい香りで立ちこめて、カップに注がれた珈琲を目の前にした時
が、珈琲という飲み物のピークだと思っていた。
香りの中で珈琲を無限に感じているんだけど、
実際に飲むと現実に引き戻されるというか、
思ったより苦いなとか、濃厚だな、とかずっと雑な感想が口からでてしまう。
美味しい、けど、香りを嗅いでいる時程美味しがっていない。
珈琲ってそういうものだと思っていたのだが、
ハライソのネルドリップはお豆のことがくっきりと見えてくる。
お豆がどんなところでどんな風に育って、どんなあんちくしょうなのか、
香りを嗅いでいる時に、豆を触っている時に、感覚で捉えているその豆の全体像を
味で見ることができたのは初めてだった。
真ん中に丸い甘みがあって、そこから苦くて、やさしくて、深くて、丸くて、シャープな矢印がありとあらゆる方向に向かっている。たくさんだけど透明で、カオスではない。
それが、その豆そのものなのだ。
珈琲って、豆の宇宙なのだ!!と興奮覚めやらなかった。

オーナーの珈琲への無条件さである。
ネルドリップする姿を見て、棟方志功がわしゃわしゃと彫り物をしている姿かと思ってしまった。
そう告げたら、版画は掘っちゃえば複製できるが、珈琲は二度と同じことは出来ないといいのけられた。
それを聞いて、私はこの人珈琲に掛けてる!とこころ熱くなった。

私はその日のライブ、膨張曲線という曲をここでやろう、と思った。
彼の在り方に、私の在り方をぶつけたい。
そんなライブであったと思っている。

また、ハライソのネルドリップが飲みたい。
近くにこんな店があったら毎日飲みにいくのにな。

彼のぼんやりした夢であるフェラーリに乾杯。
愛して止まない人である。

それしにても、珈琲。。。まだまだ先があるよな、、あるよねーそりゃ。。。
ネルドリップ、やってみようかなあ。。。

モグラリンのこと

1. もぐるぐる
2. 空の穴
3. 金平糖
ー圧力鍋点火ー
4. 穴堀り
5. 不器用な男たちへ
6. SHUKA SHUKA トンネル
>箱ブザー
7. 海宙神話〜出来損ないの太陽
8. 風が通るよ
9. ひまわり
10. モグラリン

手探りで始めた1作目。とにかく園原とイガキと私でへんてこりんを持ち込むことにした。
園原の持って来た出来損ないの太陽。
イガキのおもちゃたち。
圧力鍋に、箱タイマー、マッチ箱、紐、毛糸。

最高に、へんてこりんだったのではなかろうか。

来場者におまけのびっくり箱
今回は穴のある歪な箱。

そして熊坂義人書き下ろし原作。是非読んでもらいたい。

今回のこの4部作ライブはそもそも、私がleteのような小さな箱ではついついお客さんと話しながらのアットホームなライブになりがちなのだが、私の曲はそうやってとつとつとライブを進めるにあまり向いていないというのもあるし、leteのようなせっかく雰囲気のある箱なのに、出来上がっていく雰囲気と遠のいてゆくライブ内容。というような、いつもleteのライブ後に感じる自分の中でのチグハグ感があった。
MCなしでライブしてみたいなあ。出来るはずなのだが私の気持ちが弱くてやっぱり話したいと思ってしまう。話しておいて、そのせいでピンと張りつめた雰囲気が崩れていくのに自分が萎えていってしまう。どうにかならないかな。じゃあ、何かタイトルがあったら、物語のようなライブをすれば、私にも出来るかもしれない、そんな風に考えたのがことの発端だった。

モグラリンはこの4部作を考えついた昨年の11月、楽士として携わっていたモグラ町1丁目7番地へのオマージュ的作品でもある。あの芝居で得たどうしようもなさと暖かさを、私なりに表現できたらなと思った。一緒に楽士をしていた熊坂くんが、また憎い文章を書いてくれたので、より立体的になった。4部作の中で一番ひねくれた作品だったかもしれないが、やっぱりイガキがかなりそのひねくれをシュールにもぶっ飛ぶ方向にも持っていって、愛しい作品にしてくれたように思う。

ライブを終えて、朗読があるのかと思った、という感想をたくさん頂いた。考えてもいなかったが、そういわれて考えてみると、それも面白いかなと思ったが、それでは立体絵本の世界になってしまう。私はあくまでも音の世界で立体感を出したい。そう思っているので、朗読はおそらく最後までないと思う。ライブを聴きながら、原作を読んだと言う人が、面白い臨場感を味わったと言っていた。ライブ中は音に耳を傾け、終わってから読むのも、始まる前に読むのも、また面白いんじゃあないだろうか。原作にそったライブをしているわけではない。私のモグラリン、あなたのモグラリン、熊坂のモグラリン、園原の、イガキの、そういったものなのだ。

次回は鳥の女。まったく違った雰囲気のleteになると思う。
特設ページ ゆるゆると更新してますので、覗いてみてください。
http://www.folkevise.net/spannko/hon-no-lete/

珈琲豆を煎る

珈琲豆を煎って、縁側でひと寝かせ。

珈琲がが好きなのだ。
だけど一日中飲んでいたいわけじゃあない。
そんなことしたら実際具合が悪くなる。
珈琲が本当に美味しいなと思えるのは初めの何口かだ。
一日一杯、飲むくらいが調度良い。
そんなだけれども、珈琲のことがこんなにも好きなのだ。

だからその一日一杯、出来るだけ美味しい珈琲を飲みたい。

というわけで美味しい珈琲への探求が始まる。
挽かれた豆より、挽き立ての豆の方が美味い。
煎られた豆よりも、煎り立ての豆の方が美味い。

というわけで豆を煎りはじめた。
煎って冷まして、瓶に入れて、半日〜一日くらい経った豆が今のところ一番美味い。
ドリップした時の膨らむ威力が圧倒的にすごい。
珈琲の中から珈琲がにょきっと出てくるかのようだ。

今年は生豆のマイブレンドを探求したいな。

縁側より愛を込めて

2011年書き初め。

「縁側宇宙」

昨年末にずっと放置されていた縁側を片付けた。
そうしたら、陽があたって、風が通って、そこに座っていろんな想いに耽った。
あれをやろう、これを作ろう、こんな世界、あんな闇、放つ光、
何かが湧き出てくる源泉は、
深く潜るでもなく、高く昇るでもなく、
ここにあるのだぞと、嬉しくなったのである。

去年は自分のsolo album というものを初めて作って、
今までずっと自分の中に渦巻いていた世界というものを、
えいや!ともの凄い勢いで放出して、
その勢いでいろんなところに飛んで行った、そんな印象が有る。
くるくると旋回して、たくさん喜び、たくさん傷つき、多くと触れ、扉をこじ開け、
ひと嵐送った後の私はちっとも空っぽになんてなっていないが、
縁側の源泉をゆっくり眺められるような、少しは澄んだ目でカオスを見つめられるようになったのかもしれない。

私はここから、すべての扉、すべての窓を全開で
いってみたいと思います!
今年もどうぞよろしく。

縁側より愛を込めて

スパン子

ウニの針

ブログを新しく始めました。

ウニの針

特に意味はありません。
なんにせよ、真っ白なキャンバスってものはウキウキします。