2011年3月

私との対話

地震の揺れは、多くの人を非日常に連れて行ったんだろうな。
その後の原発のこと。放射能、水道水。。。予想不可能な明日。
普段は興奮しない神経がずっと刺激されている。

人は非日常を求むのかもしれない。自分が生きていることを確認したいから。
それは死を意識するということ。
穏やかな日常を求めながら、非日常で自分を確認したい。
ネットが流行ったのはそのせいかもな。少しの間だけでも日常と違うところに行ける。
だけどそれはバーチャルにしかすぎず、やってもやってもリアルに自分を見つけられない。
そこに来て、この2週間はものすごい現実が押し寄せて来た。
そりゃあもう、祭りだろう。
祭りは本来生きるか死ぬか、どうなるかわからない、そこに飛び込んでいくという儀式だ。
根こそぎもぎ取られてしまった人たちは、そのまっただ中にいる。
宮城や福島の友達からの便りは、すごい。
地震が来た次の日に何を用意しておいたらいいか、メールが来た。
電池がなくなるかもしれないっていうのに。
その後も被災地を目の当たりにした話や、状況を語ってくれる。
そこからもらうのが元気なのだ。
こっちが元気や励ましを与えられるはずなのに、ずっと強い。

一瞬、魂が震え上がったこの辺りの人は、そこから先は情報にだけ怯えている。
テレビがない私でさえ、うっすらとそのひとりだ。
なくなるかもしれないとか、くるかもしれないとか、
そんな情報知らなきゃいいのにと思うが、一瞬震え上がった魂が、もっと震えたがるのだ。
だから見る。聞く。調べる。そこから押し寄せる不安の中で、自分をもっと確認したい、そんな気持ちが拍車をかけ、刺激を求め、行動に移す。

昔読んだアボリジニのある部族の話。
広大な砂漠を横断するときでも、食料を持ち歩かない、作物を植えたり、収穫もしない。
その日の食料は宇宙から与えられると確信して、砂漠を歩く。
宇宙が彼らを失望させたことは一度もない。
行く先には、必ず食べ物がある。
祈りに宇宙は常に応じる。そして、心から自然のあらゆるものを讃える。
行く手に鳥や動物が現れると、それは夕食のために現れてくれたということになる。
一日は祈りから始まる。その日の調和、自分自身、友人、世界に対して
感謝の言葉をささげる。そして願うことはその通りになって現れ、
それを感謝して受け取って感謝の言葉をささげる。

その部族は、自分たちの住む荒野に食物がなくなっていくこと、環境の汚染、
それは勿論、人間の生活の結果によるものなのだけど、
それをただ受け入れて、地球を去った。20年前の話らしい。

日々の今を信じて、今を遊んで、それだけ。
でもそれがすべてなのかもしれない。
その結果が滅びることになろうとも,関係ないということだ。
あらゆる情報よりも、こころの声がすべてなのかもしれない。
私はそこまで潔く、生きれるだろうか。
こころは、生きたいといっているけれど。

頭で考えるな。
とにかく、できることを思い切りやろう。

なるようになる

今日は原発のことが随分と不安で、落ち着かない日々を過ごした。
芳介はこの2.3日の緊張と親の動揺がストレスで、夕飯前に吐き、夕飯後も吐いた。
ニュースを見ると途端に具合が悪くなる。
芳介にはニュースはもう見せるのやめよう。実際に体験した地震の揺れだけでもう充分だ。

私も随分とあれこれ頭を回転させたので、夕方頭がかたーく痛くなって来た。
木曜日だけ開業している近所の接骨院の先生が、今日は臨時開業していたので、
マッサージしてもらいにいく。

先生もだいぶ原発のことでざわざわしていたので、ひとしきりそのことについて話した。
その話の流れで、先生の師匠(横浜で接骨院をやっている)はどうしているのかと聞いたら、
「なるようになる」
といって、へいっちゃらなのだという。

なるようになるなんて、よく聞く言葉だけれど、私のこころには随分と響いた。
その言葉は、横浜にいるから平然としていられるとかそういう陳腐な響きではなく、生きる上での覚悟のようなものを感じた。
何か視界がはっきりしてくるような気がしたので、この言葉のことをもう少し感じてみた。
恐怖や不安、悲しみなどの感情は事象に対して生まれるものだけれど、
そこに囚われる必要はどこにもない。
意識を傾けようと傾けまいと、自分で決めればいいことなのだ。
なるようになると本気で思えたならば、自分がどうしたらいいかわかるものだ。

私は、今朝から恐怖や不安から逃れようとする行動ばかりしていたんだな。
そんなことはこの貴重な一瞬に、馬鹿馬鹿しい。
楽しそうだ,やりたいと思うことだけしてやろうじゃないか。
それは時に、恐怖にも似た魂の奥底からぞくぞくと震えが来るくらいのことかもしれないが。
どのみち、なるようになる。ならば楽しんでやりたい。

そんな風に体もこころもほぐされたひとときだった。
蔵楽接骨院、どうもありがとう。

それで家に帰ったら、熊坂くんも晴れ晴れとしていて、荷造りをしていた隣人も気持ちが変わっていた。
私の変化は繋がっている。

死ぬ覚悟で原発作業している人たちに感謝する。

花が咲いた

突然、自分の命というものに触れずにはいられない日々というのがはじまってしまったが、こんなにも否応無しにシャキンとさせられ、自分が生きていることを実感していることはなかったのではないだろうか。
芳介が選んで買った花が地震の起きた日に咲き、また庭の片隅で小さな花が揺れているのを、いつになくじんわりと胸に響かせている。

幸いにも私の家は賑やかな隣人たちに囲まれているので、庭で起こした火で一緒に珈琲を飲んだりしながら、この時を様々な形で共有している。

いつもと違う様子に翻弄されながらも、「大丈夫だよ」と一生懸命な芳介。
たくさんご飯を食べて元気満々である。地震を体験し、大人の揺れる心情を感じて、不安だろうに、今日も立派にでっかい絵を描いた。

洗濯物が溜まったので、おいそぎ洗濯で短時間洗濯機を回す。久々にお風呂を湧かして、シャワーは使わずに、風呂桶の水を使いきった。シャワー遊びが大好きな息子も説明したら理解して、湯の少なくなった風呂桶に隠れるなんて遊びを新たにあみだしていた。電気も炬燵とパソコンと居間の電球だけ。洗った頭はタオルでこれでもかというくらい拭けば、ドライヤーもちょっとで済む。いくらでも節約できる。まだまだできる。わかっていたけれど今までできなかったことだ。寧ろ、おじいおばあのように当たり前のように節約するのがケチくさいような気がしていたように、今思う。あの人たちは、節約することがどういうことか、自分がすることがすべてと繋がっているということが、ちゃんと身に染みていたんだなと理解した。

そして、ニュースやtwitterなどで日本の状況を知る度に、胸の奥が苦しくなっていたが、息子と歌ったり踊ったり、熊坂くんと今日中止になった大福を聴いたり、その度に気持ちが強くなった。決して気を紛らわせているのではない。すべてを呑み込み、何色でもなくすことが出来る。それが音楽の力だ。音楽は娯楽でもなんでもなく、過酷な環境の中、人間が精神を保って生きていくのにどうしても必要だったのだと、思うのだった。はなうたでよい。そうだ、それははなうたからはじまったのだ。

今、自分の出来ることを夢中になってやる。こころが膨らむ方向に。
これが私は祈りだと思っている。
被災地の皆さま、日本全国の不安を抱えている皆さまの無事を祈って、私は精一杯夢中に私に出来ることをして、生きるぞ。

どうか、どうか!!!!
pray for all!!!

気分

今日はすこぶる体調が悪く、気分がダウンしていた。何にもやる気が起きない、眠い、ひたすら眠い。
リハなど行かずに炬燵で寝こけていたい。。。 と思ったが、なんとか体を起こしてリハに行った。

人に会うと頑張って元気になろうとしてしまうが、今日はそれすらも億劫で、 機嫌悪そうに見えるかもしれないが、まあ、それでもいいだろうと そんな気持ちで、その気分に任せていた。
別にダウンしていたからって、しょぼい音が出るわけではないのだ。
ダウンな気持ちにオープンならば、ダウンな澄んだ音が出る。寧ろ力のある音だ。

素直に音を出して,素直な態度で、過ごしていたら、体調が良くなっていた。
音の力である。

昔は自信がないことが悪いことだと思っていた。
自信のある自分になろうと、自信がない自分を卑下して認めなかった。
その姿が格好わるかったこと。
私は、自信がない自分を追いやって、素敵と思われる自分になろうとしていた。
何か違うものになろうとする姿というのは見ちゃおれないものだ。
格好よいと言われたくて、格好わるくなっていたとでも言おうか。
自信がないって悪いことなんだろうか。
ないものはないのだから、ただ打ち開いて、そこに立ってやればいいじゃないか。
と思えるようになったのは本当に最近のことだ。

いたたまれない気持ちではあるが、悪くない。そこから生まれてくるものがある。
嬉しいことだけが感動ではない。心が動けば、何かが生まれる。
自信がなくてダウンな時も、最高にハッピー上げ上げの時も、心は同じようにグオンと回転しているのだ。

本日もグオングオオオンン!

サイクル

こういう仕事をしていると、どうしても世の中のサイクルとのずれに悲鳴を上げる時が来る。

今の世の中というのは一ヶ月単位でものが一回転するから、一ヶ月ごとに年貢の納め時というものが来る。ということは、一ヶ月ごとに収入のある仕事をしなければ安定しないという事になる。

この一ヶ月というのが私にとってはどうしてもめまぐるしすぎて困る。
イメージとしてはハツカネズミが回転車でカタカタカタとひたすら走り続けているような。
それが狙いなんじゃあないか、などと私のような猜疑心の強い人間は実体のない支配者を疑ってしまう。
馬車馬のように働いていれば、余計な事など考える時間はなくなる。
個々がどう生きるかなんて尊重している暇がない。ただその回転車から振り落とされないようにするのに必死になるだけだ。これが支配だ。

私は女なので、一年13回の満ち引きという月のサイクルというものを否応無しに体で感じて生きているわけだけれども、それはこのようなめまぐるしいサイクルではない。ひと月で息を吸って、ひと月で息を吐くような、そうやってゆっくりと季節を移ろっていく、そんな風に感じている。
そこからくる創作活動な訳だから、やはりその波というのは一ヶ月よりももう少し大きい。月が3回満ち欠けして、やっとひとつな感じがする。

だからまあ、このサイクルで生きていけばよいじゃないのなんて、思うけれど、引き潮の時に、満ち潮が来たら全部払えますからなんて言っても、払え払えとうるさいのだ。今まで払って来たでしょう!と思うのだけれど。向こうは一ヶ月サイクルでヒーヒー言っているのだから仕方ない。

こちらの引き潮と向こうの引き潮が合わさると、かなりの引っ張り合いになり、私も回転車に連れ込まれ、走れませんーー、走りたくありませんーーー、回転車のバカヤロー、となるのだが、どちらのサイクルが正しいわけでも間違っているわけでもなく、そこにあるのは確かな違いだけである。

だとしたら、私はこの違いこそ楽しめるに違いないと思うのである。
大迷惑もこちら次第というわけだ。
せっかくの春うららを、引き潮堪能してやろうじゃないか。

ミシン

あれほどあれ作ろうこれ作ろうと思いながら後回しになって、ずっと押し入れから出せずにいたミシン。

芳介が明日、一日幼稚園に入園。上履き袋がいるということで遂に押し入れの扉は開いた。
久々に布を手に取り、切って、縫って、楽しいもんだ。
他にもスモッグから弁当袋まで、まだまだ制作物は満載。

生活があって、作る。
これが何より素晴らしい。
いっくらでも生活で遊べるってこと。

ミシンも私の遊び心にやっと出て来たのだ。

芳介おばけ。