2012年2月

東京田舎者

今日は関東とてもすごい雪。
でも長野に比べたら屁のようです。

だけれど、東京は交通もストップしちゃうし、除雪はされないし、
事故が起きてひっきりなしにウーウーカンカン聞こえる。
そんななのだから家でゆっくりしていればよいものの、
忙しい東京人はいつものように用事を済まそうと出かけるのだ。

うちの車はスタッドレスで、車に積もった雪とりバーも積んであるので、
長靴はいて、毛糸の帽子をかぶって、さっそうと雪の中に飛び出した。
雪取りバーで雪をかきながら、今年初めて長野に行った日のことを思い出した。

雪がガンガン降っていて、そこら中真っ白だった。
家に荷物を置きにいった旦那はんがなかなか帰って来ない。
あんまり遅いので電話してもwillcomはほぼ圏外。
様子を見に行こうとするとやっと電話がかかってくる。
「動けなくなってしまった。」
どうやら選んだ道が、「地元の人は冬は通らない道」だったようで、
除雪はされておらず、なんとかそれでも走り進んだが、
国道に出る出口が、国道の除雪された雪がたまっていて、そこをのぼりきれなかった。
そして後ろにも当然下がれず、アクセル踏んでも雪を飛ばしながらタイヤがくるくるまわるだけ。

地元勢がスコップ片手に出かけてくれて、押したり引いたり、車のマットをかませたりで、
やっとこさ国道に出れた。

おそらく私と旦那はんだけだったら、車はあっという間に雪に埋もれ、春までオダブツだっただろう。

何もできない。。。
何もわかっちゃいない。。。
と実感した。

その後、この車はこの雪では危険だということになり、
友達の車でとなり村のまた別の友人の家へ向かうのだが、道に迷ってしまう。
こうも真っ白だとどこがどこだかさっぱりわからない。
電話できこうとしたらまたしても圏外。
友達の携帯が通じたので助かったが、
友達がいなかったらそれこそ雪の中で動けなくなり、一晩雪に埋もれて、それこそホントにオダブツしていたかもしれない。

翌日、今度は怖々車を走らせていると、

そんな風に滑らないように走ってはいけない、滑って走ればよい

と言われた。

そんなこと言われても滑るとどうなるのかわからないのだから、怖い。
滑ればいいんだよなんて思えるのはいつのひやら。

かっこいいなあ。。。

何もわからず、必死になっている自分がちゃらちゃらしてださく思え、笑えた。
自分こそが今まさに田舎者である。
東京で育ち、何でも手に入り、あたかも洗練されているかのようだが、
雪の中では何も役に立たなかった。安くて適当に通じるピッチもただのがらくた。
自然の摂理の中で人間が生きるということにおいてはてんでうとい。
どんどん退化していっているようにすら思う。

地震もまだまだ続いているし、気候もなんだか変だし、
原発もいよいよ危ういし、
今大事なのは「生きる力を持つこと」だと思う。

誰かのせいにしている場合ではないのだ。

雪の中、そう思ったのでした。

HONZI LOVE CONNECTION 4 を終えて

思い出した。

この緊張感。

スピード。

深さ。

興奮。

溢れるもの。

大きな何か。

HONZIと一緒にライブをしていつも感じていたもの。
ぎゅんっっと連れて行かれる世界。
油断していると振り落とされちゃう。
彼女がいなくなって3年の月日が経ち、
そういうことを言葉にできるようになった分、
体感した感触が私の頭の大きさ分くらいに縮小してしまっていたようで、
昨夜、HONZI’s Worldやるんやったらと降りて来てくれたHONZIが、
私をライブのしょっぱなから一喝してくれた。

ステージの上の久々の並々ならぬ緊張感に、
ガンッと頭を殴られたような衝撃で、
一瞬真っ白になり、
私が生まれた。
おお、HONZI、そうだったこれだった。
私のイメージなんて随分と小さなものだった。
大きな波のうねりは予測不可能。
私はその大きな波に委ねた。

波は多くをさらって、多くを呑み込み、包んで、
大きな大きな海の底。

そんなに自分を捉えて安心したいのか。
そんなこと諦めた時に、大きな大きな何にでもなれる自分が現れる。

今一緒にまた音を合わせられたら。
そう思ってしまう。
あの世でそんな時も来るだろうか。
こっちにいる間、この体で体感できる事をめいっぱい感じていくよ。

「そこはハイパー。外に出れるけど、誰も私だとわからない。」
HONZIのいった世界。

これが私とHONZIのこの数ヶ月間の対話のまとめ。

本当に素晴らしい夜でした。

すべてに感謝。

いま

先日新聞のインタビューでいろんな事を聞かれ、
それを答えるためにたくさんの過去の出来事を辿った。
それでなんだかもやもやした気分になってしまった。

なんのもやもやか暫く考えてみた。

私は辿った道だけを説明して、
殆ど今を語れなかったのである。

私が語ったその過去は、その時の真実であり、
今の真実ではないのである。

今を語るその中にこそ、すでに私の辿って来た過去なんてあるのだから、

結果、今の事だけ喋っていればよかったのだと答えが出た。

あれこれ話したことをよくぞまとめてくれましたという記者さん会心の記事だったが、
「スパン子さん」という役柄の人のお話しのようで、ドラマの中にいるような自分が少し恥ずかしかった。
そしてやっぱり、過去の私に焦点を当てた仕上がりだった。

私が今、長野に行く理由は、
そこに生きる場所があるということだけなのである。

いつでも真相はシンプルなのだということを肝に銘じたのでした。