2012年6月

官邸前に行ってみたこと

6/29 埼玉に来ていたので、官邸前に行ってみることにした。

あれだけ多くの市民が、なんの組織も持たずにただ、日本、それでいいのかという想いをかかえて集まったという事実はすごいことなんだと思う。
多くの人が「何かが変わったのを感じる」ということを告げていたが、
私は「これで何か変わるのかなあ」というのが正直な感想だった。
何か拍子抜けな感じ。なんなんだろう。

震災後、日本中の人がたくさんのショックを受けて、自分の在り方、自分に出来ること、
それを深く考えたと思う。その想いは今もまだ拭えていなくて、少しも復興が進まない被災地や、状況は悪いままの原発、そこに住む人々、たくさんの問題を抱えたまま時は過ぎていき、社会は何事もなかったかのようにまた回りはじめている。ショックを受けた心だけが宙に浮いて、その気持ちの向けられるものとしては、このデモはわかりやすく、自分の気持ちを注げるじゃないか。自分もそこへ行こうと思ったのは確かだ。ここでこそ、言わなくては、行かなくてはと。そういう気持ちを持った人たちが集ったように思うのだ。

しかし、実際行ってみると、私はあの「再稼働反対」コールは言うことが出来なかった。
私が言いたいことって、それだっけ?気がして。あとは何か阿波踊りでも踊りだしたくなる陽気な感じが、妙に薄っぺらくて、拒絶反応を起こしてしまった。
エジプトのデモなんぞさぞかし恐ろしかったに違いないが、日本人には気質としてあんまり向いていないのかもしれない。騎馬戦のときのような気迫はでないものだろうか。それには何かに対するのではなくって、ただ自分自身に身を投げれないと無理なのかもしれない。
主催者の「終わり」の号令にすごすごと帰るのも、デモの在り方としては当然なのかわからないが、そうして帰っていく人々の中のひとりとして、何か自己満足感だけがあるような気がして仕方なかった。

再稼働が決定したのは、日本のずっと抱えてきた問題の結果なのだと思う。
それは政府、官僚だけの責任ではない。自分も含めた日本人全員の問題だ。
多くの日本人が一人一人変わらない限り、いくら反対しても変わらないものなのだと思う。
デモに参加してみようと思うこと自体、ずいぶんと大きな変化だと思うが、そこへ参加してみて、自分が何故そこへ行って、何が言いたくて、そしてそれが自分にとってどんな問題なのか受け止め、自分の生活に落としていくことが、デモというもののなかで一番大事で、それが昨日参加した10万人の人々の生活に起きたら、それが広がっていったら、日本もまんざらではないかもしれない。
ただ、デモに参加して反対と叫んだ充実感だけで終わっていては、野田さんだって「大きな音」としか思わないだろう。だって、痛くも痒くもない。
今こそ、自分の心、感じた素直な心を見つめなくてはならないときだと思う。

私の生活の中で、闘うことはたくさんある。

キャンプ場の草刈りをしたら、途端に予約の電話が入るように、
風を通せば、何かが動く。そしてその結果はどんなものかなんてわからないものなのだ。
まず、自分の中に、風を起こさなきゃ。

スパン子ツアー「水もしたたるいい音楽」を終えて

日曜日K.D.ハポンのライブ後、夜走りで長野に朝4時に帰ってきた。
少し眠って朝9時にはキャンプ場の仕事やら、草刈りやら、畑見に行ったりやらで、
寝不足なんていっていられず動きまくり、夜は息子と一緒に消灯。
目覚めた今、やっと落ち着いて帰ってきたと実感している。
相変わらず湖がパカっと空に口をあけている。
ここが帰る場所になって、よかったなああ。。。

久しぶりのスパン子ツアーだったが、改めてアバンギルド、ムジカジャポニカ、K.D.ハポンに感謝。
どうもありがとう。
いろいろな不手際にも対応してもらい、本当に助かりました。
そして、共にツアーできたたゆたう、ディナーセット、わをん、モノポリーズ、出会えて嬉しく胸一杯です。来てくださったお客さまもありがとうございました。

今回は各箱から代表アーティストを派遣して、スパン子のツアーを一緒に作るみたいなコンセプトだったのがようやっと最後に見えて来て、もっと色んな準備ができたなと思うところたくさんあった。その点については悔しい想い。だけれど、引っ越しだなんだですっかりスパン子ご無沙汰だったところに、今年どんな風にやっていくか、たくさんのものが見えて来た。
寝ぼけている場合じゃないぞ、スパン子。
そんなツアーだった。

最後に、こんな機会を与えてくれたメロウさんに大感謝!

皆さん、またどうぞよろしくお願いします。

スパン子