私は泳ぐのがかなり得意である。

だから、というわけではないのだが、今プールの監視のバイトをやっている。
泳げる!と思っていたが、勤務中はジャージだし、残念ながら仕事中は泳がない。
監視といえばブーメランパンツのマッチョか逆三の競泳水着を決め込んだ女が、休憩中にプールを潜水で巡回するというのが私の印象だったが、そうではなかった。何かあったらそのまま飛び込むそうで、といってもそんなことも滅多にないが、去年の夏はウォータースライダーに挑戦したご老人が着水したプールから上がれず、洗濯機の中の洗濯物のようにぐるぐるまわってしまって、飛び込んで引きずり上げた、という監視員がいた。夏が来るまでは子どもも殆ど来ないし、元気なシニアさんたちのエッルギッシュなウォーキングの監視に水着は不要のようである。

先日シニア会員になられたご夫婦がいた。
奥様の方がもしかすると大病なさったかで、あまりうまく歩けず、今にもよろよろと倒れそうだ。
プールのなかではヘリに捕まり、かなりゆっくり、狭い歩幅で一歩を進む。ひとあしずるりといったらあっという間にブクブクだろう。目が離せない。久しぶりに緊張感ある監視をする。きっと少し運動してみたら良いときいて、プールに来たのだろう。
会員さんも心配していた。「あの人更衣室で「私はどこへいったらいいんでしょう。。」といいながらよろよろしていて。。。気をつけてみてあげた方が良いわよ。」なんていわれた。
プールから出て来たご夫婦に「如何でしたか」と聴くと、奥様は表情ひとつ変えること出来ない。「疲れました。。」発する声も弱々しい。大丈夫だろうか心配になった。

たいして動かないでプールにいることが寒かったのか、次の日は水着に羽織る用の薄黄緑のヤッケを着て来た。
何故かフードまでかぶって黄緑の塊になりながら、ヘリをつかまり、よろよろと歩く。
いよいよ私も飛び込む時が来るかもしれない、と思いながらドキドキと見守った。

そのまま、ツアーなどに出て、一週間ほど仕事休む。久々の勤務。

ヘリしか歩けなかった彼女が、コースロープにつかまって歩いている。相変わらずの薄黄緑のフードをかぶりのんびりだが、気のせいか前よりも動きがよい。監視員は「危なっかしくてみちゃいられない、冒険するんだもの」というようになった。そう、冒険を始めた。その日はどこにもつかまらずにプール内をよろよろと歩きはじめたのだ。

また数日経って勤務に出ると、薄黄緑のヤッケさんはフードをかぶらずに、プールの中にいた。
今度は会員さんが、「随分動けるようになったじゃない!」と声をかけていた。私も思わず、「全然違いますねえ!」と言っていた。
「そうですか?」と言う彼女の顔に笑みが見え始めた。その日、彼女は遂に25mコースをどこにもつかまらずに歩いた。

帰りがけに「着た頃はプールから出ると身体が重くて重くて、続けられると思ってませんでしたが、毎日来たおかげで今は出ると身体が軽いんです。」と嬉しそうに言ってくれた。私も、「階段折りて来られる姿も全然違いますよ!」と興奮気味に言った。彼女の声が良く聞こえるようになった。

そして今日、彼女はプールに更衣室で仲良くなったらしき人と一緒に話しながら降りて来て、ゆっくりとプールに入ると他の元気なシニアの方々がするように、手を前後に動かし、身体をひねらせながらウォーキングを始めていた。後ろにも歩く、横にも歩く。そして連れが泳ぎの練習をするのを見て、なんと泳ぎはじめたのだ。まるで小さなヒレのついたふぐのようだったが、泳いでみようと思うことが凄い。そして一番の変化は、始終笑顔であるということである。身体が動くようになったことが本当に嬉しいようだ。旦那さまも今までは遠目に心配していたが、一緒に歩いたり、同じ格好で体操したりするようになった。
彼女がプールに来はじめて、10日ちょっとのことである。スタンプカードは定休日を除いて全部スタンプが押してあった。旦那さまが帰りに「ちょっとあるくのもよろよろしてしまって、どうしようかと思ってました。」と切実な面持ちで言っていた。もう駄目かなって思っていたのかもしれない。表情のない奥様との時間が苦痛のこともあったかもしれない。毎日毎日、たいして歩けもしないのにプールに通って、それが半月でこんなに豊かな2人になって、生命力ってやっぱり凄いなと思う。感動して私が嬉しくて仕方なかった。

私は生命力は「生きる」という一方向のベクトルにしか、プログラミングされていないと思っている。
何が起きても、生命は光の方に顔を向けているのだ。これは決まっていることだ。
だから、向いている方に進めばよい。
それを見つけられるかが生きるセンスだと思う。
とかく人間は悪しきと思うことに心悩ませてしまう。
もしくは光を見つけなきゃと思ったりとか。光に向かわなきゃとか。
そんな余計なことしなくたって、生命はいつだって単純に光に向かっているのに。
良かろうが悪かろうが、やりたいようにやればいい。
光ってパラダイスではない。
光は闇であり、闇は光だ。
生命自体がそういう存在なのだ。
だから生きるってのは怖くて、最高なのだ。