今、新曲を書いている。今まで書いたことがなかったコントラバスで演奏するための曲だ。たぶん稚拙なものになるとは思うけれど、それでも僕に響くようにはなりそうだ。完成まであと少し、といったところ。僕が作曲するときというのは、感動したときに限られる。感動を源にしなければ曲を作れない。何もないところで曲を書くなんてことはできない。五線譜にそれっぽい音符を並べるということができない。才能がないんだなあ、とそこはもう全力であきらめている。ボサノバ風で、とか、ジャズアレンジに合いそうな、とか、ロック調の、みたいな器用な真似ができていたらもう少し違ったと自分でも思うけれど、こんな不器用さを誇らしく思っている自分もいる。だからつまり、今書いているこの曲にはクラウドファンディングをしてみて動いた感情がこの曲に込められている。

 

タイトルは「優しく呪われた未来」だ。

 

今回、クラウドファンディングを応援してくださる皆様のおかげで目標額を達成することができて本当にうれしく、自分もまだまだ捨てたものでもないと、ある意味でやる気が出たし、感謝の言葉はいくら言っても足りない気分だ。けれど、このウェブツールを使ってみて、ふと人類規模のことを考えてみたくなって思いを巡らせた。

 

時代が道具にまだ追いついていなかったつい先年までモノを売るには先に物を作らなければいけなかった。まだ見ぬ人に宣伝して、買ってもらわなければいけなかった。当然「ロス」が生まれる。時間的にも、金銭的にも。これは経済的な視線からの物の見方なのだけれど、確かにクラウドファンディングを使うことでそれらの「ロス」からは解放された。「欲しい」と言ってくれる人たちから支援をいただき実行する。クラウドファンディングとは、要するに「未来」を買ってもらうことだ。これは個人が未来を売る道具なのだ。「未来を売る」という言葉の響きはなんとなく心地いいだろうか。それとも。

 

これから先、近い将来いろいろなインターネットのサービスが現れると思う。もちろん、あっという間に消え去るものもあるだろうけれど。日進月歩ならぬ、秒進分歩。めまぐるしく新しいものが次々と産み出される時代だ。インターネット上のことだからそれを知らなければ、社会はなんにも変わらないように見えるが、一歩その中を覗き込んでみれば、現実世界とは全く違う様相で(しかも物凄いスピードで)世界が進んでいる。これからはインターネット上の出来事と現実世界のすり合わせが急ピッチで進められるのだろうと思う。今回使ったクラウドファンディングも現実とインターネットが同じ地軸で動いているのがそのひとつの証明だと思う。

 

僕の好きな法隆寺の話がある。飛鳥時代に建てられた法隆寺は、平安時代にはすでにおなじものは技術的に建てられなかったんだそうだ。(時代についてや、どの本にそう書いてあったかは不覚にも覚えていないので、確かなことは言えないが。)これは道具の発展に由来するのだ、と書いてあった気がする。道具が発展したことによって一つの技術が失われた。僕の家系は職人の一族なのでよくわかる。接着のいいノリが発明されれば、古来のノリの作り方など要らない。そういうことだと思う。

 

我々はインターネットによって新しい道具を得たし、これからたくさんの道具が産み出されていくことはほとんど確定的になっているのだけれど、はたしてその代償に失う技術は本当に忘れ去ってしまっていいものなのか、とか考えたりする。とはいえ、今回はクラウドファンディングのおかげでこうして皆様のもとへ、私の楽曲が届けられたので、ありがたいことだと感謝していることは全く都合のいいことだと、我ながら恥ずかしかったりしてくすぐったい。

 

おそらく人類というのは、今何が起きているのかということには気づけないのだろう。そこは思い切って諦めて、自分が大事にするべきことに集中して、精一杯に、できることをやるだけやってみる。そんな今生にする。そんなことを改めて心に留めることができた出来事だった。