当時、僕は切羽詰まっていた。

仕事のことでも、プライベートな事柄でも、僕を取り巻くすべてが僕を圧迫していた。とてもじゃないが輝いてはいない。顔でいびつに笑いながら、口では楽しいと嘘をつき、そのくせ心の底では息苦しさを人のせいにして、自分の居場所を削りながら生きていた。どこにいても空しかった。もちろん全ての仕事がつまらないわけではなかったし、心の底から楽しいと思えた時もある。けれどそれでもどうしても埋まらない心の隙間があった。そういう隙間はえてして時間の経過とともに大きくなっていくものだ。例に漏れず、僕の場合もそうだった。

「出来ます」「やります」と仕事を受け、内容のつまらなさに辟易するなんて傲慢だし身の程をわきまえないフトドキ者だが、実際僕はそういう気分を持っていた。今思えば幼稚で身勝手だが、大概の場合、世界の虚しさの理由なんて稚拙な思い込みと、現実からズレた手前勝手な理想像からくるもんだと思う。現実を直視せず、また受け入れない。

否定的な態度というものにはどこか魅力を感じるけれど、それだけでは本当には輝かないと思う。今、ここにある現実をいったんそのままの形で受け入れることがなければ、やはり力を持たないものだ。人間は具体的な現象の中に生きているのと同時に抽象の中に生きている。抽象的な概念というのはこの何百年かで強烈に膨れ上がっている。お金、国家、民族、学歴、職歴、宗教、、、。抽象的な世界はこれからも新たな世界を作り出すと思うし、それは人類の武器かもしれないが、現実という大地に足をつけなければならない。抽象が膨らむなら具象も大きくしなければ、真に強い存在にはならないと思う。

対極主義。

いよいよ生活全般が精神的に追い詰めてきたころ、岡本太郎の本に出合った。彼の主張は疲弊しきった僕にとってどれほどまぶしく映ったことか。こんな風に輝いてみたいと、強く思った。僕は根っこのところが極端だからあまり深く考えずに振り切った行動に出た。仕事をやめ、友人を振り切って、仲良くなれそうな人にもどうでもいいような議論を吹っ掛けたり、言わなくていいことをわざわざ口に出したり。相当に面倒な人間として生き切ってやると、周囲を心配させながら、仕事を断ったりもした。こういう方向にこそ、輝ける毎日が待っているのだと心の底から信用した。

そういう中で生まれたのが僕の僕による僕のための楽曲を演奏する「大福」というバンドだ。

物事を始める前、というのはココロオドル嬉しい瞬間だ。まだ見ぬ景色への期待で胸を膨らませ、躓いて倒れた時に味わう土の冷たさなど想像もしない。もうずっと悔しい思いをしてきた、もう充分に躓いていたのだから、一心不乱に山頂を目指す。その言い訳のない潔さが相まって、無敵艦隊然とした妄想に包まれる。

「輝ける毎日」という曲を書き上げたのは、そのころだ。自分の人生を裏切っていたのは自分自身だったということに気が付いたとき、深く傷ついた。世の中に棲みついているお化けの正体は自分自身だった。驚き、震え、そして悲しかった。悲嘆にくれていても仕方がない。ではどうする。それに気がついたのなら、どうやって生きる。気がついてしまった者の責任。はじめて自分の人生を歩いている感覚。一人で全てを決めて突き進んでいく覚悟。そういう壁が突然目の前に現れた。「うまく行っても結構。うまく行かなかろうが、それもいい。」という半ばヤケクソで踏み出した、その一歩目。それがこの曲をはじめとする、初期の作品群だ。

 

音楽には、すべての条件を無効にする能力があると思う。そう信じている。この音楽の力をどこまで信用できるかが、その説得力の強さに比例している実感がある。僕の中でゆるぎない信念だ。

条件を引き受けたうえで、それを無効にする。

男だろうが女だろうが関係ない。どこの国に生まれたとか、この時代がどうとか、そんなものは一向に問題ではない。初心者だとか、ベテランだとか。

条件は無効にできる。

そういう力を、僕は、音楽と呼ぶ。

 

輝ける毎日を。