人類史は今を起点にして新たな時代に突入すると思う。100年後に振り返れば、今この時代がターニングポイントだったと思うようになるんだろうと、ほとんど確信を持っている。それは、科学技術の進歩のようなニュースに唆されているだけではなくて、地球の雄叫びのような活動に衝撃を受けているからだ。
 硫黄島は隆起して、地球の各地で地震が起き、海底火山は噴火して、軽石は沖縄に流れ着く。
 こういう自然の横暴さは人類に変容のストレスを与え続けてきたと思うし、それはどんな人的な圧力よりも強く激しいものだったと思っている。
 人類史が変化してきたポイントには、道具の変化や、ヒトの視点の変化が大きな要因だとされているけれど、本当に1番忘れては行けないのは地球本来が持つエネルギーの現れ方だと思う。
 長野県に引っ越してきて思うのは、冬の寒さや雪のエネルギー、太陽が恵んでくれる作物の価値、獣の意地汚いくらいの気高さだ。自然を前にして人類のなんとカボソイことか。
 未来。どんな時代になるのか、本当にわからない。多分人類の70億人の全ての人が知らないし、ほとんどの人は分かろうともしていないはずだ。そんな中、ワケ知り顔の人が「こういう世の中にしたい」という願望を予言のように発表しているんじゃないか。
 はっきり言うが、こんな僕ですら世の中はこのままでは世界はマズイ事になるという確信がある。まあ、今のままでは「イケナイ」だなんて漠然とした感想なんて皆んなが感じている事だと思うけれど…。
 未来。果たして何が権力を持ち、どんな事を道徳としていくのか、あるいは、何に価値が見出されるのか、全く想像がつかない。僕が若い人に触れる時、いつも言うのが「どんな時代が来るかわからないから、とりあえず1番大事なのは自分の体を自分で動かせる体力以外にないよ。」である。つまりは筋トレしろ、だ。

 世界の全てに変化が溢れてきていると思う。その実感がある。コロナだ、ワクチンだ、リモートだ、ビッグデータだ、5Gだと喧しい。その他、少子化対策だ、経済格差だ、貧困だ、差別だなんだと、問題は山積みなのに、人間個人は世界の問題にはほとんど関係ないつもりで生きて死ぬ。けれど、風が吹けば桶屋が儲かるではないが、本当のところ僕は全てが完全に関係していると信じている。
 僕個人のことで言えば、演奏家として身勝手に生きてきたことを振り返ってみている。他人との関わりの中に自分を見いださなければならない気がしている。こんなふうに思うようになったのは、僕が世界と共鳴しているからではないか。そんなふうに思う。
 人類も、世界も、地球も、ひょっとしたら宇宙全体も強く変化を求めているのだと思う。僕が最終的に信じている変化の道筋は、人間個人が持つ可能性をうち拓いていく道だ。人類がどんな可能性に満ちていて、どこに不可能の限界があるのか。それを知るための僕の今生なのだとしたら、何にしても挑戦をやめてはいけないと思うのだ。
 現在変化は全ての中に溢れ出している。もし本当の意味での変化が世界に訪れるなら、それはその挑戦の先にあるものだと思う。