こちとら人間なんだから、何が起きても不思議はない世界にいるはずなのに、どうも隅々まで計算可能だと信じきっていてヌルい。みんな安穏としながらも不安がって縮こまっている。目が濁っている。もっと人間の目は輝くものなんじゃないかと、苛立ったりすることがよくある。もっと輝けるはずだ。だから、その証明を僕の一生をかけて実験してみる。そういうつもりで生きている。僕は輝かない人間を熊坂とは言わない。

「燻ぶった人生で何が悪い」と平気でひらきなおれるのであれば、それはやはり輝くものだと思う。どの方角にも拓く道はあるはずで、いや、なかったとしても切り開けるはずで、それを今生であきらめるような人間を僕は熊坂とは呼ばない。

でも、そういう燻ぶっているように見えるヒトタチも、ようく覗いてみれば、まだまだ死んでなかったりする。そういうことが分かっただけでもこの4年間は意味があったと思う。そういうヒトトキは誰にでもあるものなのかもしれない。それ自体は悪くない。

僕は熊坂だから、そんなヒトトキが降りかかってきたとしても、これでもかと鞭打って進む。暗くて鈍い光を平気で全体に放っていこうと思う。そうすれば次の生命力が湧いて溢れる。

 

どういうつもりで生きているのか。枠を超えろ熊坂。

 

ソレで目は濁らない。