先日、息子の通う幼稚園で「食育」という講座のようなものがあった。
何をやるのかに興味を持って参加してみた。
初めは食育というものについての話だったので、少し難しく、退屈になった。
加えて前の日にちょびりと飲んだものだから、少々体がだるく、だんだんと帰りたくなっってきた。
しーんと聞いている母たちを見て、その日ゲストで呼ばれていたフランス料理屋の料理長さんが
「まずスープ飲みますか」
とスープを温めて出してくれた。
ポタージュスープだった。
朝、丁度旦那さんが作ったホワイトシチューを頂いてきたばかりで、その味もどこかにまだ残っているような状態だった。
半分うんざりしていた私はああ、スープまだいらないなんて思いながら、
ひとくち頂く。
もうひとくち。
ひとくちごとに目が覚める。体が起き上がる。こころが立ち出す。
美味しい。元気がどんどん湧いてくるのがわかった。
シェフが私に声をかけた。
「美味しいか」
「美味しい。。。!!」
「出汁は使っていない。野菜だけの味だ。なんで美味しいかわかるか。
。。。それは愛情だ。」
とひとこと言ってのけた。
その時、私はすっかり体中が満ち足りていて、こころが生き生きしている。
それから、シェフと台所に入り、
シェフはブロッコリーとカリフラワーと人参のソテーを作って、試食をさせた。
作り方は至って簡単、下ゆでして、フライパンに油をしいて焼いて、塩をふるだけ。
だけれどめちゃめちゃ美味しい。美味しくてみな目を丸くして、笑顔が溢れて、
席に戻った頃には、初めの静けさは嘘のように、部屋が華やいでいた。
シェフの言った愛情とは、ただ単にみなさんのために気持ちを込めてなんてものではない。
ひとつひとつの素材の息吹というか、生命力のようなものを最大限引き出す事を、技術とセンスでもって
全力でやっている。それは命というものへの敬意、つまり愛情であろう。
その愛が食べ物の命から、私の体の細胞、そしてこころへと波が増殖していくように伝わってくる。
食べるということは、本来そういう生命力の交換なのであろう。
それが美味しいということ。
シェフからは、農薬のこと、素材の生き返らせ方、甘みを引き出す事についてなど、それから
食べ物の「食べて」と言っている時というのを教わった。すごくわかる。
料理していて、その瞬間がある。
様々な素材のその瞬間を同じ時に持ってくるのが、
素材の切り方、下ごしらえの仕方、そして火加減なのである。
これは美味しくする魔法のテクニックだ。
そして最後に、
「食育なんていうとちょっと難しくなるけれど、私がいつもこころに置いているのは明るく、会話のある食卓ということです。」
と言った。そこにすべてが詰まっている。その通りだ。食べ物に敬意を払って、食べ物から息吹をもらうこと。それは自然と人を元気にさせ、笑顔や言葉が溢れ出すものなのだ。
何かを真剣に作り出しているということは、たくさんの理論よりも説得力がある。
大抵シンプルで、難しくないことが真実である。
料理がまた楽しくなった。