1匹の山羊が歩いてるよ

大きな 大きな 山に抱かれて

その先に白い山羊が待ってるよ

2匹は出会って、恋におちる

 

知っていた 君のこと

待っていた 君のこと

 

 

「白馬でライブがあって、その後泊めてもらえるかな、一緒にツアーして廻っている夫婦も一緒に」

 

ゆーにゃんから連絡があった。ゆーにゃんはjaajaという素敵なバンドのギターボーカル。すごいいい歌を作って、すごい歌をうたう。あっという間に素っ裸にされたような気

持ちになって、でもそこは暖かくて、泣く。奥さんのくみちゃんはコントラバスを弾いていて、子供も共演というファミリバンドだ。一緒に旅しているご夫婦はnatunatunaの知り合いでもあり、彼女からずっと話を聞いていたおふたり。そのうちお会いできるんだろうなあと思っていたところだった。私らのような音楽家はこんな風にして、その日の泊まる場所を見つける。それは久々に会って、話して、飲んでというかけがえのない時でもある。もちろん彼らのこともwelcomeした。

しかし、ゆーにゃんたちがライブを終えてうちに来た頃、私は息子の添い寝が本寝になってしまっていた。熊坂くんがきっともてなしてくれたのだと思う。翌朝起きて、まだ見ぬ客人たちの朝ご飯を作っていると、だんだんと皆目を覚まして階下に降りてきた。

初めましてのご夫婦も交えて朝食。土鍋で炊いたご飯に、粕汁、糠漬けに、きんぴらと、卵焼き、自家製梅干し、とそんなメニューだったと思う。米がとにかく美味しいから、もうみんな美味しい美味しいと言ってくれて、ご夫婦もひとつひとつ、これは本当に美味しいと感激してくれた。「美味しい」から食材の話、田んぼの話、住んでる場所の話、音楽の話、どんどん広がっていく。奥さんはめみちゃん、旦那さんはやまちゃん やわらかい風が吹いている。きっと素敵な音を2人で奏でるんだろうな。やわらかくて、人懐こくて、一緒にいるのが気持ちがよかった。栃木の鹿沼にあるお山に住んでいて、そこでたまに音楽フェスをやるそうだ。「裏山フェス、またやろっか!そしたら演奏してくださいよ!」「やるか、やろうか!」「えー、それは絶対行きたい!」とフェスの開催まで話は盛り上がる。こうやって繋がりが繋がりを呼んで、また新しい何かを作っていくのだ。ひとしきり盛り上がって、彼らは帰っていった。私はめみちゃんが絶賛した酒粕をお土産に持たせた気がする。これが彼らに会った一番初めの時。

 

その後、裏山フェスの話は瞬く間に企画され、開催された。

 

 

 

鹿沼のおっちのおくという場所(おっちという場所の奥という屋号だそうだ)へ辿り着くと、一軒の古民家があり、その裏はなだらかな傾斜があってそのまま裏の山に続いていた。傾斜にはめみちゃんたちの飼っている山羊が白い模様を作っている。家の壁には森から空に泳ぎいでていてる鯨、やまちゃんが描いた壁画がフェスに訪れた人たちを包んでいた。古いピアノがあって、私はそのピアノを弾くんだけど、なかなかなご老人で、だいぶヨタヨタしてたけどもよく喋るピアノだった。家の裏山側には大きな引き戸があって、そこを全開し、集まったいろんな音楽家たちが、家の中で演奏したり、外で山に向かって演奏したり。台所では女性たちが食べ物を作り、訪れた人も座敷だったり、庭だったり、山だったり、山羊の側だったり、思い思いの場所で好きに時を過ごしていた。一番初めに演奏したゆーにゃんたちjaajaの演奏がまたすごくって、フェスは大いに盛り上がる。私たちSPANNKOSMOも山に向かって思い切り演奏。めみちゃんやまちゃんの演奏はやっぱりとっても暖かかった。とても素晴らしい時だった。そのまま夜まで盛り上がり、広いお座敷に布団を敷き詰めて、酔っ払って眠くなった順に布団に入っていった。夜遅くまで馬鹿みたいな話をたくさんして、楽しかったな。

朝目を覚ますと、静かな山の音がした。良い場所だなあと思った。だんだん夜が明けていく匂いが、お酒を飲んだ次の日の身体に染みていった。

あの日と同じように、のんびりと朝ごはんを食べ、昨日のことを思い出したりしながら話をした。いつの間にか教育の話になって、「だから、幼稚園なんです」とやまちゃんが強く言ったのをよく覚えている。彼らはこの家と山で幼稚園を開園しようとしていた。いろいろな手続きの最中で、来年には開園できそうとのことだった。どうしようもなく動いていってしまう社会を、どうにかするにはどうしたらいいか。そのアクションなんだなと理解した。やまちゃんはフェスの間もずっとやんちゃな眼差しでみんなを包んでいた。よく喋って、笑って、でもいつも大丈夫だよと言われているような、そんな気持ちになる不思議な人だった。この裏山フェスの暖かさは、やまちゃんとめみちゃんの強くて優しい懐なんだなと思った。それが2回目に彼らと会った時。

 

またちょっとして、私らは同じ鹿沼に住む山村さんという、すんごい日本画を描くおっさんのアトリエ開設記念で演奏に行く。こちらも山ちゃんなのである。この山ちゃんはこれまたすごい人で、酔っ払って「俺が山村だ〜」とか言って、ショッピングモールのカレー屋さんに入ってきたりする。大声で。別の公演で山ちゃんの前スタジオに行った時は、まだ公演も始まらぬリハーサル準備中、芳介を膝に抱っこして絵本を広げ、「いいか、まず自分が見たいと思うところから見ろ」と小一時間4歳の芳介に絵本の見方講座を繰り広げていた、大声で。ずっと「うん、うん」と聞いていた芳介もすごいと思ったが。。かと思えば隣の女性と大喧嘩していた、大声で。「飲みすぎてんじゃねーよ」と演者に言われていた。人が来ると極度に緊張して極度に盛り上がっちゃうのかなと思ったのは、いつも作ってあるカレーがとても丁寧に作られていて、とても美味しいこと。それからやっぱり絵が本当にすごい。すごい繊細で大胆ででかく、エネルギーに溢れているが、静かなのだ。こんな絵をずっと1人で描いている精神って。。。と思うと、山ちゃんの素行は、山ちゃんだからな、しょうがないよって思えてしまう。そんな人で、私は2ndのCDジャケットを、実は10枚ほど山ちゃんに手描きしてもらった。natunatunaの手描きジャケットとはまた全然別物で、とってもかっこよかった。あっという間に売れてしまった。山ちゃんにとってもこのジャケットを描けたことは何か一つの新しいことだったようで、そんなことを伝えてくれた。知るほどに、この人はともかく不器用な人なんだなと思った。

さて、その日の山村アトリエ開設記念の演奏をおっちのおくのやまちゃんが見にきてくれた。演奏後、いつものように母屋で宴会が始まり、山ちゃんが作ったバーカウンターで順番にカウンターの中の店員が入れ替わって、バーごっこをしたりした。馬鹿馬鹿しくて大笑い。そんな中、おっちのおくのやまちゃんともつらつらといろんな話をした。いつもめみちゃんと一緒にいるやまちゃんだったから、その日はまた違うやまちゃんに会えた気がした。酔っ払いの山ちゃんが「僕も山ちゃんです。僕は友達が少ないので、鹿沼に住む友達ができるのは大変貴重です。同じ山ちゃん同士これからもよろしくお願いします」「こちらこそです、うちにも遊びに来てください」とやまちゃん同士が友好を結んでいた。やまちゃんなら山ちゃんともきっとうまいこと付き合うんだろうなとちょっと嬉しかったりした。「またね、めみちゃんによろしくね」「またね」と挨拶を交わしてやまちゃんは帰っていった。

それがやまちゃんに会った最後だった。

 

その日から数日後に、ゆーにゃんから、やまちゃんが事故で亡くなったと連絡があった。空っぽになるような感覚。山ちゃんからも連絡があった。たった1回会っただけだが、とてもショックを受けているのがわかった。

おっちのおくに集まった仲間たちが、歌って演奏し続けて、そんなお通夜、葬儀となった。私は行くことができなかったのだが、facebookでその様子がチラリと流れた。しんみりとではなく、楽しくワイワイ、やまちゃんならやってほしいと思うというめみちゃんの意向だったようだ。そうだなあ、やまちゃんらしいかもなあ、と思いながら星を眺めた。人というのはやっぱり1人では生きていなくて、多くの人と繋がって、目に見えぬとも支え合って生きている。そのひとつが突然消えてしまうということは、やはりガタガタっと自分の中のバランスが崩れてしまうことで、立て直すのには別の支えや時間が必要なものだ。私にとってのやまちゃんは思っていたよりも深い支えを担っていて、どんと沈んだことに驚いた。恐らく酔っ払いの山ちゃんも、おっちのおくに集まってしまう人たちにとってもそうで、やまちゃんは誰の中にも静かに深く入り込める、そういう人だったのではないかと思う。それがこれからを共にやっていこうとしているパートナーとなれば大変なことだ。母が亡くなった時、バンドメンバーが亡くなった時のことを思い出すと、それがどんなことかは理解できてしまう。大丈夫だろうかとやまちゃんのことと同時にめみちゃんのことを想った。

いろんな想いがぐるぐる巡り、ピアノの前に座って、歌った。それをボイスメモに残した。

 

半年くらい経って、ふとそのボイスメモを開いてみた。あの時の、ピンとした空気がそのままあって、ふっとあの裏山の風が吹いたようだった。これは曲にしたいなと思った。そこから1週間くらいかけて、最後には私にしては珍しく2階のアップライトのピアノ部屋にこもって、「山羊と星と君」を書き上げた。ボイスメモに残っていたのはこの曲の冒頭部分。山羊の部分だ。

やまちゃんとめみちゃんと、おっちのおくのことからできた曲だが、限定したものではなく、誰の心にもある体験であり、やがては星になっていく私たちが、生きている間にできること、そんなこの世界の美しさを絵描けたかなと思う。

 

 

曲ができてから1年後くらいだろうか、このアルバムの録音が始まった。私はどうしてもめみちゃんに歌ってもらいたくて、久しぶりに連絡を取った。めみちゃんは「山のようちえん」を開園していた。喜んでうたうと言ってくれて、京都まで出向いてくれた。めみちゃんでなければうたえないいいうたを歌ってくれた。山羊と星と君の中間部分で、めみちゃんの声が入ってきて、ここから曲がグッと1人から全てにと拡がっていく感じになるのだ。広く大きな曲になったなと思う。

 

今回、予告動画を作るにあたって、山のようちえん(旧おっちのおく)の映像を送ってもらった。山羊と山と、やまちゃんの描いた絵が映っている。「大きな存在になったやまちゃんが、微笑んでいると思います」めみちゃんが言った。私も山で子供達が山羊と一緒に伸び伸び走り回っているのを想像した。深くてあったかい山に抱かれて、安心だろうなと思う。

 

 

 

さて、この中間部分のコーラスにゆらゆら♨️ちんどん隊が歌ってくれている。そう、実はもう一つの話がある。それは山羊と星と君 ②で書こうと思う。