先日のリハーサルで、マスクを取ってピアノを弾いて貰いました。久々に見る生徒さんたちの顔、こんな顔だったかしら?こんな表情をするんだっけ、ととても新鮮で、ある種驚きさえありました。何とも人の匂いのする瞬間。個々の香り、それぞれの個性が滲み出して、本人も久しぶりに顔を出して人前に立つことに少し躊躇しているような、そんな戸惑いも含めての笑顔はやっぱりとても素敵で、ピアノの演奏もその表情があってこそ完成なのだなと思いました。

 昨年からの世の中の変化で、たった一年半でたくさんのことが変化しました。はじめはマスクを入手するのが困難で、洗ったり使い回したり、布マスクを作ったり、遂には国からガーゼのマスクが送られてきたり、まるでイベントのようでしたが、そのうちいつでもどこでもマスクをすることがだんだん普通になり、いつの間にか浸透してもはや生活の一部になってきています。マスクをしていると誰が誰だかわからない、「マスクしてるからわからなかったよお!」ってよく言いましたよね。でも今はもはやそれが逆転して、マスクを外すと誰だかわからない現象が起きてきているように思います。眼というのは顔の中で最も意思を伝える部位だと思うのですが、それ故に眼の動きで「マスクの中ではきっとこんな顔をしている」とマスクの下に想像上の顔を見てしまっているのでしょうか。思ったよりも大きな鼻、曲がった口、薄い唇、歯並び、よく知っている生徒の顔でさえ、びっくりしてしまうときがあります。鼻や口が思ったよりも人の顔の特徴で、表情を作っているだなと思います。しかし、マスクをすることで、そういった自分から飛び出てしまう個性を隠すことができ、伝わってしまう表情にも無頓着でいられるようになってしまいました。その結果人との関係も、ただでさえ距離をとっているので、摩擦を少なくスルッと交わせるようになりつつあるように思います。その上、嗅覚もシャットアウト、臭くても大丈夫っていざという時に危険回避できるのだろうか?そんな風に感覚を保留されていく日々が送られていて、人間はどんどん生き物として弱っていっているのではないかとさえ、思ってしまったりします。人間は生物として弱いが故に、もっと面倒くさくて、もっと図太い生き物だと私は思っていますので、少し心配になってしまいます。

 昨年は発表会についても保留、レッスンも無理なく休みたい時には休んで、生徒と生徒の間も時間をとって、という感じで、例年に比べレッスン回数も少なかったように思います。来たい時にくればいいよというスタンスになっても、みんな「ピアノ弾きたい」とレッスンに通ってくれたのは嬉しいことでした。いつもは次の発表会に向けて曲を決めて、課題を出して取り組んでいましたが、目指す本番に追い立てられることなく、ピアノをただ「弾く」ということに気持ちを置けた一年でもあったように思います。どの生徒さんも「弾く」ことを楽しんで、発表会があるとつい後回しにしてしまう基礎練や理論などにも取り組み、今年に入ってから、ずいぶん力がついてきたなあと感じることがしばしば。じっくりと「弾く」ことそのものに迫る時間というのは大事なものですね。自分が何が好きで、何が楽しいのかを問われる1年でもありました。そんな成果を感じるようになり、そろそろ発表会をやってみようかという思いが私の中で湧き始め、お世話になっているすずの音ホールさんに相談しました。ホールではいち早く感染対策をしながらのイベントの開催に取り組んでいたので、今日このような形で発表会を行えることとなりました。ホールの方々、そしていつも楽しんでくれる保護者の皆さんのご協力あっての開催と大変感謝しております。
まだまだしっかりと対策をとりながらですが、それでも今日こうやってマスクを外してそれぞれの顔を見せてくれる演奏を、かけがえのない時間と思っています。いつ、どんなことがあっても、君たちは心のおりを音にすることができる。小さくても良い、今日の気持ちを音にしていきましょう。

 それでは今日の発表会、思いっきり溢れさせてください!楽しみましょう!!